本日も乙

ただの自己満足な備忘録。

自分の見えている世界だけが正しいとは限らない

最近、「善人ばかりの家庭には争いが絶えない」という言葉を聞きました。一見すると善人なのであるから争い事から無縁のように感じますが、この場合の「善人」とは「自分が善人であると思っている人、自分が正しいと思っている人」を指します。自分が正しいと思っているから相手が間違っている、悪であると思ってしまいます。そうなると自分の非を認めず、相手を非難するようになるので家庭内では争い事が絶えなくなりますね。

家庭に限らず仕事でも同様です。例えば、ちょっと面倒かつ締切がものすごく短い仕事を依頼されたとします。普通なら○○日前に依頼してくれないと困るとか、急に依頼されても他のタスクが止まってしまう、なんで急に依頼してくるんだ。もっと早く言ってくれよと思ってしまうでしょう。確かにその通りだし急な仕事を頼んできたことについて相手に非があることは明らかです。

しかし、相手の立場になるとどうでしょう。大事な顧客からの緊急的なクレーム対応により、急を要する話だったかもしれません。もしくは期末が迫っているなか、あと少しで目標達成できそうとなったときに依頼する必要が出てきたのかもしれません。いずれにせよ、相手側にも急な仕事を依頼してきた背景や理由があったはずなのです。ただ自分には(依頼してきた時点では)どういった事情があったのかは分かりません。

「大事な理由があるんだったらそれを説明してくれたらいいのに」と思うのはごもっとも。大事なのは自分にとって嫌な仕事を頼まれたときに無下にしたり冷たく反応するのではなく、相手になにか事情があったのだと察してコミュニケーションすることだと思います。緊急対応で時間がない場合は仕事をこなした後に事情を聞くのもいいでしょう。日常生活では自分が急な仕事やお願いする立場になることもあります。依頼されたときに颯爽とこなすことで、依頼したときに「おたがいさま」精神で相手側も対応してくれるでしょう。

同じ会社・同じ部署・同じチーム、家庭内にいたとしても、考え方や思想は異なるでしょう。そして、自分が見えている世界でしかものごとを測ることはできないのです。同じチームメンバーのパフォーマンスが落ちているとしたらその人には何か事情や問題を抱えているかもしれないし、別チームに依頼してもちゃんとやってくれないとしたらそのチームには何か事情や問題を抱えているかもしれないし、上司に何か問題があるのだとしても上司なりに何か事情や問題を抱えているかもしれません。それらは自分の世界では見ることができないのです。

自分の世界でしか物事を測っていると「善人」になっていきます。そうではなく「悪人 = 自分に非があると認める、自分が悪だと思っている人」になることが大切です。また、自分の世界では見えない事象があるのだと認識した上で、相手とコミュニケーションをとっていくことが大切です。

昔、仕事で例にあったような依頼に対して無下に対応したことがありました。今になってみればとても恥ずかしく思えますが、若気の至りということで反省して今では完璧とはいえませんがおおよそのことは対応できてきていると思います。もしできていない私をみかけたらこっそり教えてもらえると嬉しいです。