本日も乙

ただの自己満足な備忘録。

薬への耐性と学習的無力感

気管支喘息により朝晩で吸引薬を服用しています。服用自体は習慣になっているので億劫ではないのですが、月に1回処方してもらうための通院と薬局から薬を受け取るのが面倒で億劫になります。

咳が出ず調子が良い状態が続くと、吸引を止めて通院を先延ばしにしようと魔が差しそうになりますが、風邪を引いたり疲れが出てくると咳が再発するのでずっと服用し続けなければなりません。

かかりつけ医からも途中で止めてしまうと中途半端に耐性を持ってしまい、服用を再開しても効果が出にくくなると言われたことがあります。『フラジャイル』という医療漫画でも服用をこっそり止めてしまった女子高生(だったと記憶)に対して同じことを言っていました。

耐性がつくことにメカニズムを理解していないのですが、ざっと調べたところ、完全に治る前に抗生物質の服用をやめてしまうと、耐性を持つ細菌が生き残る可能性があり、生き残った細菌は増殖することで、将来その抗生物質を使用した際に効果が弱くなる可能性があるということです。要は体(細菌)が学習してしまったために、次に同じ量の薬が効きにくくなるということでしょう。

 
ある日、ふと思いました。これって「学習性無力感」に似ているのではないか?

学習性無力感とは、「自分の行動が結果を伴わないことを何度も経験していくうちに、やがて何をしても無意味だと思うようになっていき、たとえ結果を変えられるような場面でも自分から行動を起こさない状態」のことをいいます。 by ChatGPT

挫折や失敗によって「次に何をやっても同じように挫折や失敗をしてしまう、なのでいくら努力しても無駄だ・何もやらないほうがいい」と頭で学習してしまうのが学習性無力感だと言えるならば、先ほどの薬への耐性と似ていると思わないでしょうか?

違いがあるとすれば、薬への耐性は「体」、学習性無力感は「頭」が学習してしまうことぐらい。

 
では、学習性無力感に陥らないにはどうすればいいでしょうか。

服用を途中でやめてしまうと薬への耐性がついてしまうのと同じように、取り組んでいるものに対して途中で諦めたり止めたりすることで学習性無力感に陥ってしまうと考えられるので、「耐性」がつかないように結果が出るまで最後までやりきることが対処方法だといえるでしょう。

もし、何らかの理由により予定していた路線で物事が進まない場合は、別路線に切り替えるか、「戦略的撤退」ということでうまく自分の中で折り合いをつけていくと良いのではないでしょうか。