本日も乙

ただの自己満足な備忘録。

福島第一原子力発電所に行ってきた

先日、おやすみをいただいて福島第一原子力発電所(1F)に行ってきました。
日帰りツアーで、朝7時に新宿からバスで移動して、20時半に帰ってくるというハードなスケジュールでした。

本記事では、なぜ1Fに行こうと思ったのか、行ってきてどう感じたのかについて書いていきます。

なぜ行ったのか

母校から福島第一原子力発電所の視察案内がきたのがきっかけでした。
卒業生の同窓会コミュニティには登録をしているものの、積極的に母校に関わっているわけではありません。昨年は母校主催のリカレントプログラムに参加しましたが、卒業生関連のイベントには参加はしていませんでした。

福島に縁があったり、東日本大震災に関係しているわけでもありません。
それなのになぜ行こうとしたのか。
ひと目でピンと来たからです。「これはなかなかすごいイベントだ」と。

私の日常と福島第一原子力発電所はかけ離れています。まったくの接点はありません。しかし、離れすぎているがゆえに逆に興味が出てきました。

震災の津波による水素爆発したあの映像を見たことがある人が多いでしょう。現状はどうなっているかはわかりませんが、すくなくとも自分一人で行きたくても行ける場所ではありません。お金や時間があったとしても行けるタイミングは限られています。今回を逃すと次いつ行けるかわかりません。

幸いにも日帰りだし、集合と解散が自宅から近いので参加はできます。
何もわからない状況だからこそ、震災から15年経った今がどうなっているのかをこの目で見てみたいと思いました。

事前準備

怖いのはやはり被爆です。申し込む前に放射量について問い合わせしました。

現在の1Fは敷地内の96%を防護服無しで歩けるようになっているようです。

www.enecho.meti.go.jp

いざ参加しようと意気込んでみたものの、福島第一原子力発電所について、何も知りません。メディアで報道されている内容についてうっすら認知している程度です。それについて自分から情報を取りに行くわけでもありません。
参加するにしても何も知らない状態でいくのは流石に申し訳ないので、自分なりに調べて知識を頭に入れておきました。

いざ、視察へ

7時半に新宿からバスでの移動。途中で休憩を挟んで約3時間半で富岡町の東京電力廃炉資料館に到着しました。
昼食後、資料館で説明を受けながら見学しました。

なぜ、水素爆発が起きたのか、何が起きたのか、今の課題と今後をどうしていくのかを図解や実物を見せてもらいながら説明してもらいました。事前インプットのテキストだけでは理解が浅くなあなあにしていた部分がありました。Web記事だけだと読んでもピンときていなくて、もうすこし調べればわかるはずなのに「知ったか」で満足してしまっていて、本当にわかっていませんでした。

そして、ついに視察へ。

1Fに入るには持ち込めるものが限られます。
スマホ、スマートウォッチ、財布、飴、ガム、天然鉱石を含む装飾品、年代物の時計、磁気ネックレス等は持ち込めません。服装は長袖長ズボン。靴もしっかりしたもで、サンダルはNGです。夏でなくて冬でよかったです。

入所手続きがとても大変です。身分証明書をチェックした後に、許可証と線量計を渡されます。
線量計は0.2mSvを上回ると鳴ります。0.2mSvは歯科レントゲンを1回やった程度です。
ちなみに、作業員も線量計を持ちますが、作業場所によってアラートしきい値は異なるようです。

1F所内はバスで移動します。車内にも線量計が設置されています。 最初は1〜4号機の目の前に行きます。近づくと車内の線量計の数字の桁があがります(それでも手元の線量計のアラートしきい値以下です)。

いざ目の前で見ていると、海は本当に近い。 1号機、3号機、4号機は水素爆発によって跡形もない状態が印象でしたが、今は燃焼デブリを処理するために囲いをつけています。 きれいに整備されている箇所もありますが、震災時から残っているものもあります。1号機の近くにある事務所、吉田所長の部屋は今も手つかずだそうです。当時の状態からいかに悲惨だったかがわかります。
私たちは防護服なしでしたが、近くで作業されている方は防護服を来ています。廃炉に向けて、燃料デブリを取り出すために日々リスクと隣合わせで作業されているのがわかります。

天気が良く、海がとても綺麗で水平線がよく見えます。
とても美しい場所に原発の過去と今があります。

感じたこと

廃炉資料館、1Fでは東電職員による案内と解説をしていただきました。その際の言動に対して、当時の事故に対する責任と謝意を感じました。東電の対応や責任について思うところはあると思いますが、現場の人たちはそのことを重く受け止めてリスクと隣り合わせで業務されています。

あの事故は震災による揺れではなく、その後の津波による停電が原因で発生しました。想定外だった自然現象が引き起こした事件ですが、それを言い訳にすることは許されていないことが厳しさを感じます。

想定以上の津波によって事故は起きました。本当に安全性が担保されていたわけではなかった。
しかし、どこまで予見して対応すればいいかは難しい問題です。

6mの津波には耐えられていたといわれています。しかし、津波は15mでした。結果論でいえば15m以上の対策をすべきだったといえるでしょう。
しかし、15m以上で本当に対策できるといえるのでしょうか。その妥当性はどうなのかを震災前に判断するのはとても難しいです。仮に震災前に15m耐えられるようになったとしても、20mの津波が来たらどうなるのでしょうか。そのときも同じように結果論でしか語れないのではないのでしょうか。

肩の荷を持つわけではありませんが、ITエンジニアとして、システムの信頼性を見ている身としては、どこまで対策すべきかを考えるのは悩ましいもの。コストや利便性を犠牲にしたり度外視すれば対策はできるかもしれませんが、大抵はトレードオフをともないます。

私が業務で関わっているシステムは人の命を預かるわけではないので、リリースに失敗してもロールバックしたり修正すればいい。しかし、福島第一原発の事故によって、15年も経過して避難指示が解除された区域は増えていますが、住民はほとんど帰宅できていない人は大勢います。亡くなった方もいます。失敗に対する代償が大きすぎます。そういった世界で戦っている人たちは本当にすごい。私にはそこまでの任を背負うことは難しいかもしれません。

最後に

今回の視察は震災から15年たった今でも、今だからこそ考えさせられることが多かったです。
参加者の中には fukushima 50やNHKの100コマを見て興味を沸いた人もいました。
帰りのバスで fukushima 50の冒頭を見せてもらいましたが、現地で見たからこそ臨場感がともないとてもリアルに感じます。

Amazon Primeでやっているので見てみたいと思います。
https://www.amazon.co.jp/gp/video/detail/B0FLJ74K5G/www.amazon.co.jp

100コマはNHKオンデマンドで見ることができるのでこれも見ます。
www.nhk-ondemand.jp