先日、ITエンジニアの仲間とご飯を食べてきました。彼はアパレル業界から38歳で未経験からITエンジニアに転身された方です。最近、事業会社に転職されたということで、近況を聞きたいと思ってお誘いしました。
会話のなかで、アウトプットについて話があがったので、今回はそれについて書こうと思います。
第4次AIブームの到来とされるこのご時世、個人がアウトプットする意義が薄れてしまっていると思います。
例えば、ブログで技術系の発信をしている場合。以前はニッチな内容であったとしても、同じような悩みを持つ人がGoogle検索などによってたどり着くことがしばしばありました。現在は、何かを調べようとおもったときにAIに尋ねることが増えてきてGoogle検索などを使う頻度が減ってきました。そうなると無名の個人ブログにアクセスされなくなってきます。
QiitaやZennなどのプラットフォームでのアウトプットは、人目につきやすいので読まれることが増えるかもしれません。しかし、ここ最近の人気トレンドはやはりAI関連です。AIで◯◯をやらせてみたとか、最新ツールに驚いていれば容易にはてブでホッテントリを獲得できます。
勉強会も流れが変わってきています。昔は勉強会やカンファレンスにもよく参加していましたし、積極的に登壇もしていました。最近は、各社で採用目的だったり、AIに関する内容ばかり。飽和しているような感覚になってしまい、connpassのイベントを見るだけでお腹いっぱいになってきます。家庭をもったのも影響していますが、以前と比べて積極的に参加しようと思わなくなってきました。土日は趣味のランニングや家族との外出を優先するので、土日開催のカンファレンス系もすっかり足が遠のいてしまいましたね。たまに面白そうなテーマを扱っている勉強会があるのでそれは参加しています。
なんでもAIのせいにするつもりはありませんし、私自身が年齢を重ねて、置かれている状況や考えが変わってきた、というのもあります。以前よりもIT技術系のトレンドを追いかけていかなくなって徐々に老害化しているからだともいえます。
しかし、それらの要因を差し引いたとしても、やはり以前より個人が情報発信する意義が薄れてきていると思っています。
それでも、アウトプットはすべきだといえます。これは断言してもいい。
理由は単純で「自分のためになる」から。
昔から言われていることですが、アウトプットすることで一番得をするのは自分自身です。
自分が仕事や趣味活動などで得られた知見や学び、つまづいたことをただのメモ書きから人様に見せられるような形に整理するという過程は自分自身の中で血肉となっていきます。
書いたことを忘れてしまったとしても、数年経ったあとに調べてみたら自分のブログがヒットすることもあります。昔の自分に助けられたことは一度や二度ではありません。
登壇も同様です。自分が身につけてきたこと、やってきたことを思考整理して、資料としてまとめて、何度も練習して、口に出すことで、記憶が定着していきます。特に登壇はストーリーを持たせることになるため、「なぜ、それをやることになったのか」「なぜ、その手段をとったのか」「どうやってやったのか」「その結果、どうだったのか」「うまくいかなかった要因は何か?どうすればよかったのか」を体系立てて考える訓練になります。自分がやってきたこととはいえ、一つ一つの要素をつなげてストーリーとして仕上げていくのは大変です。その過程をこなしてきた内容というのは簡単に忘れられないですし、自分の成功体験として根強く残っていき、今後に役立てることになります。
技術系に限らず、こうした思考整理のような雑記でもいいです。
日々、自分が考えていることを残していかないと揮発します。何も残らなくなります。そのとき、その瞬間に自分が何を思ったのか、どう考えたのかを軌跡として残しておくことで、未来の自分に情報提供していると思えばよいでしょう。
まとめると、アウトプットは誰かのためではなく、自分自身のためにやるもの。正確には、未来の自分のためにアウトプットしていくべきだということです。