ユヴァル・ノア・ハラリ著の『NEXUS 情報の人類史』の読書勉強会に参加しています。なかなかの難解でいつもとは異なる思考をさせられてとても面白いです。
第1章「情報とは何か?」を先日読みました。「情報とは何か?」と聞かれたら、多くの人は真実を映し出すものだとイメージすると思います。確かに情報と聞くと、「真実である」「正しいことを示している」といった印象が強いですよね。でもこの本によると、それは情報に対する素朴な見方で、一部分では正しいが大半においては誤りであるとハラリは述べています。
本書における情報とは物事を単に表示することではなく、人と物事を結びつけて新しい現実を作り出すことだそうです。つまり、情報というのは様々な人やモノなど点として繋げ、ネットワークを作り上げる行為そのものであり、その結果として生まれるものを「情報」と呼ぶわけですね。英語のInformationも、「イン・フォーメーション」というように、物事が配置され構成された状態であるとしています。
興味深いのが、情報が必ずしも真実や正確な内容を表していないという点です。たとえ間違っていたり、誰かの意図的な操作によって生まれたものでも、それが他の情報と繋がりネットワークとして機能している限り、それもまた情報ということです。陰謀論やフェイクニュースなども、まさにこの考え方に当てはまりますよね。内容の正確性よりもつながりの有無が情報かどうかの分岐点になっているわけですね。
さらに「情報量」とは一体何を指すのか、について考えてみたいと思います。本書では今のところ情報量についての説明はされていませんが、本書の視点で考えてみると、「いかに多くの物事をつなげていくか」その量が情報量として定義できるのではないかと思います。
情報学部で昔、シャノンが提唱したエントロピーというのを教わりました。エントロピーも情報量というので同じですが、これは「予想外の出来事や意外性のある情報」が情報量を大きくするとされています。本書における情報量の捉え方とは異なる視点かもしれませんが、本書は歴史書だと述べておりその観点からの情報量の考え方とは少し異なっているのかもしれません。
ただ、結びつくネットワークが厖大になればなるほど、自然と意外性を持ったものも含まれていくはずなので、エントロピーとしての情報量も結果的には大きくなっていくとは思います。