『なぜ働いていると本が読めなくなるのか』を読みました。
集英社 (2024-04-17T00:00:00.000Z)
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著者が指摘している「本」は、文芸書や人文書などを指しており、ハウツー本やビジネス書、自己啓発書を指しているわけではなさそうです。なぜ「本」を読めなくなるのかは簡単にまとめると、以下のようになると解釈しました。
- 90年代以降は他人や社会といったコントローラできないものより自分の行動というコントロールできるものに注力することで、自分の人生を変えていこうという傾向が強くなった。
- 自己啓発書がまさにそのロジックを描いており、コントロールできないものは「ノイズ」として除去されることになる。
- インターネットの登場により、求めている情報だけをノイズを除去された状態で読むことができ、加速していくことになる。
- 労働時間の増加や仕事で自己実現することを称賛される日本社会になってきていることから、「本」を読む時間が削られていくなか、「ノイズ」が除去されている、求めている情報だけが手軽に手に入るインターネットや自己啓発書などは読むことができる。
自分の経験や体験を通して本書の主張は納得感があります。「ノイズ」が含まれている「本」を読むことは脳内の認知資源を消費することになります。家庭や仕事で時間に追われていてプライベートな時間が少なくなっていく状況で、仕事に関連する知識やスキルも身に着けなければならない。そしてますます時間が無くなっていくことで、脳内認知資源を消費することをしたくなくなってきます。そしてそういった本などの情報から遠ざかっていくことになります。
本書では「本」についてでしたが、広く事象を捉えると本に限らない話だと思います。例えば、交友関係。同僚や上司、家族といったいつも同じ人達としか話さない、といったことがよくあるのではないでしょうか。いつも同じ人達と会話するだけで生活ができてしまうので、そこにノイズが入り込む余地がなく、疑問に感じることはないかもしれません。しかし、自分が置かれている世界は限りなく狭いし閉じられています。ノイズは入らないけど、良い変化をもたらすこともない。短期的に見れて問題ないかもしれませんが、中長期で見たときに自分の人生が閉じられていって次第に袋小路に入っていく危険性が少なからず生じてくるでしょう。
そうしたリスクや行き止まりにたどり着かないためにも、ノイズが入ることを承知で行動していく必要があるといえるでしょう。ノイズが入る = 脳内認知資源を消費するので、とても面倒くさく感じてしまいますが、やっていくうちに慣れていくものです。筋トレと同じですw
真偽はさておき、人間の耳はまったくの無音状態にいると45分以内に発狂するという情報があります。人間の耳は無音状態に耐えることはできず、多少の音を必要としているようです。また、ホワイトノイズ(テレビの砂嵐)は集中力を増したり熟睡できるという情報もあります。
無音の中に放り込まれると、人は45分以内に発狂する | ギズモード・ジャパン
ノイズを除去するのではなく、あえてノイズを入れてうるさい人生を送るようにしたいものです。ノイズを入れまくって本業に差し支えるのは考えものですが。